苦しい恋をしているあなたのための京都案内
私は昔から、「恋をしたい」と口にする人が不可解でした。
ドキドキしたい、ときめきが欲しい、と。
恋をすると、心が舞い上がり気分が高揚します。
でも、それだけじゃない。
ふわふわっと舞い上がって天国にいられる心地よさを味わえるのなんてほんの一瞬で、絶対に叶わぬ恋だと思い知ったり、一度は結ばれても捨てられたり、心変わりされて他の女性を愛してしまったと告げられたり……それでも自分のほうが恋心を抱き続けていたら、もう地獄です。
つきあえたとしても、そのうち相手のすべてを手に入れたくなり不安が沸き上がり、嫉妬心に苦しみ、うんざりされるのがわかっていても、束縛してしまうこともあります。
好きになればなるほど、失ったときがつらい、悲しい。
自分以外の誰かを所有することなんてできないのに、好きになったら自分のものにしたくなるのが苦しい。
恋をすると、自分も相手も、人の心はどうにも思い通りにならないのだというのを突き付けられます。
誰かを好きになると、それが激しい想いであればあるほど、地獄が待ち受けている――そう考えてしまう私は、「恋をしたい」なんて、言えません。
もちろん、長く穏やかな関係でいつづける恋人同士や夫婦だっているでしょう。
「恋」から「愛」に変わって、相手を尊重しながら想い続けられるならば、できるでしょう。
でも、「恋」という、エゴイスティックで激しい感情に囚われているうちは、目の前に苦しみが待ち受けている。
そもそも恋はしたいからするものでもなく、事故のように突然自分にふりかかってきて、逃げることができない。
もちろん、軽快に恋を楽しめる人もいます。ダメになったら、すぐ別の人を見つけて、ずっとドキドキして、「恋」のおいしいとこどりができる人も。
でも、みんながみんな、そんな器用じゃない。
今回は、そんなふうに恋に苦しむ人たちのための、京都案内です。