はじめましての情報量多めの自己紹介
はじめましての方も、はじめましてじゃない方もいらっしゃるとは思いますので、情報量多めの自己紹介を。
花房観音と申します。もちろんペンネームです。本名は、小説の新人賞の選考会で選考委員に「この人、ペンネームと本名のギャップすごいよね」と言われるぐらい地味です。本名が地味なので、派手なペンネームをつけましたが、ときとき「こんな地味な女が……」と我に返り恥ずかしくもなります。
私は1971年に兵庫県豊岡市に生まれました。家から駅まで10キロほどあり、車がないと生活していけない田舎です。今でも覚えているのが、小学校高学年のときに社会の授業で「へき地」という言葉が教科書に登場したときに、「この辺りのことだね」と皆で盛り上がったぐらいへき地です。
高校を出て18歳で京都女子大学文学部教育学科に入学しました。教育学科の初等教育学専攻、つまりは小学校の先生になるための勉強をするコースですが、この選択は大間違いでした。単に第一希望、第二希望の大学を落ちたから入学しただけで、教師になる気なんて無いし、決定的に向いてなかったと思います。
それもあり大学の授業はほぼついていけなくて、バスガイドのアルバイトにのめり込みました。大学生が修学旅行生を案内するバイトサークルが、当時は京都にいくつかあったのです。そもそものきっかけは高校時代から歴史小説が好きだったので、大学の寮に司馬遼太郎とか池波正太郎とかの歴史小説を並べていたら、「そんなに歴史好きだったら、やってみない?」と誘われたことです。ちなみに誘ってくれた子は、すぐ辞めました。
アルバイトなので、やればやるほどお金がもらえますし、当時の学生のアルバイトの中では日給も良い方だったので、学校に行かなくなりました。私だけではなく、一緒にやっていた男子学生たちも留年する子が多かったので、親泣かせのバイトですね。
そして結局、留年を繰り返したあげく中退して教員免許も取れず、さあこれからどうしよう、とりあえず働かねばと行ったハローワークで、京都市内の映画館の仕事を見つけました。映画なんてほとんど興味なかったくせに、面接で「映画好きです」と大嘘を吐いたおかげなのか、なんとかもぐりこみ、数年働きます。給料は安いけれど、京都市内の映画館の映画が見放題だったので、のち作家になった際に、とても身になった経験だとは思います。
しかしその頃、私生活はぐちゃぐちゃでした。22歳上の男と初体験をするのですが、男が金を要求してきて、ついには消費者金融に行かされて、そのうち数社から借金をしてどんどんと膨れ上がりました。この話は、たぶん理解されないし、今考えると「私、バカだったよな」としか思えないのですが、結構、人生の大きなターニングポイントだったので避けては通れない。しかもその男のことをすごく好きだったわけではなく、全くモテなくて劣等感の塊だったので「私に興味を持ってくれる男はこの人しかいない。この人としなければ一生、処女だ」と思い込んで、望まれるがままにお金を渡してしまうという……自己評価が低すぎて冷静ではなくなっていました。そこから数年は、とにかくお金がないし毎月末に返済は迫るわで、生きるためにあらゆることをしていました。
30歳になる頃に、借金が許容範囲を大きく超えてしまい家賃も貯めこんでいたので、実家に連絡が行き、京都から地元に帰りました。そこで旅行会社や電子部品の工場やらで数年間働いて、30代半ばで親の反対を押し切って京都に戻ります。
働き口のあてがないまま戻れないと考えて探して見つけたのが、今もお世話になっているバスガイドを紹介する会社です。え、バスガイドを紹介? バスガイドって、バス会社の社員じゃないの? と不思議に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、長くなるのでまたこの話は別の機会に。とにかく思いがけず、大学のときのアルバイトのバスガイド経験が役に立ちました。
たまたま事務員に欠員があったことから、バスガイド兼事務員として働いているうちに30代後半になりました。その頃、新型インフルエンザやらが流行り、旅行のキャンセルが相次ぎ、「この仕事も、長く続けられないかも」と考えるようになりました。
ならば、やりたいことをやろうと、小説の公募新人賞に片っ端から応募します。39歳のとき、2010年に運よく受賞したのが「第一回団鬼六賞」という官能小説の賞でした。官能小説を書いたことなどなかったのですが、団鬼六という作家の作品は大好きだったので応募したのです。
そして思いがけずに「女流官能作家」と呼ばれるようになり、その後もいろいろあーだこーだありまして、今はミステリーやホラー、怪談、時代小説、そしてノンフィクションなども手掛けて、著書は60冊を超えました。なぜか歌手の河島英五さんの伝記とかも書いています。
バスガイド業は、なんとなく会社を辞めそこねて、何度か旧姓本名で行ったりしていましたが、最近はしてないので「元バスガイド」なのか「現役バスガイド」なのかは微妙なところですが、テレビや雑誌の企画でバスガイドの格好で案内をするというのは何度かやりました。
と、自己紹介だけで長くなりましたね。
だいたい、人に会って「団鬼六賞受賞のバスガイドで、河島英五の伝記なども手掛けている」と言うだけで、「はぁ?」という顔をされます。
とりあえず自分としては、やれることをやって流されながらも何とか生きてきただけです。
さて(ようやく本題)今回、何故、このようにニュースレターをはじめようと思ったのか。